「物知り」と「賢い」はちょっと違う。
元記事(てゆうかブコメ)
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1123450
ブコメの大元記事(ツイッター?)の俺的まとめとしては、工作の課題に改良型テープ台を提出した作者氏(小学生)、正当な評価得られず失意。
ってとこだろうか。
かくいう僕も最初何がすごいのかイマイチわからんかったが、工夫としてはなかなか面白い。
この作者氏についてはその創意と熱意について賞賛と敬意を送りたい。
で、本題。
元記事のブコメを読んでいて気になったのは、
1)提出先の小学校の先生の無理解ぶりがひどい
2)プレゼン能力も大事よね
という意見。
1)提出先の小学校の先生の無理解ぶりがひどい
これ、正直なんか違うんじゃねえかな、と思うのです。
「普通のテープ台だよね」と言われたのが真実だとすれば、これは多分このテープ台がどういうものであるかが伝わってないってこと。
三角関数がどう、てな手法手段の話の前に何がどう便利なのかという機能の話が必要。
もし、そこが伝わっていれば、先生の反応はどうやって?て感じになるはずで。
仮にその先生が三角関数を理解してないとしても、そこまでは辿りつけるはず。
もっと言えば、この作品には使い勝手という面で改善の余地が明確にあるわけで、機能上の違いが伝わっていれば何かしらのツッコミが入ると思われる。
もっとも、先生の発言については二重の伝聞になっているので真偽は定かではないけれど、元記事の情報からはそう感じた。
2)プレゼン能力も大事よね
まあコレは結城氏の仰る通り。
ただ、結城氏コメで気になるのは、画期的なアイデアが周囲に理解されない悲劇みたいな流れになってるとこ。
結城氏ご自身の経験を含め、事実そういうケースは多々あるだろう。
しかし、元記事のケースについては、プレゼン力、なんて大層な話なのではなくて、コミュニケをどうとるかの話なのではないかと。
先生には理論がわかんなかったかもね、しょーがないね。・・・じゃないだろ!てこと。
話が理解されないとき、「相手」や「環境」のせいで安易に済まさずに、何で届かなかったのか、を考えることこそ重要ではなかろうか。
ブコメで、「小学生が三角関数スゴい!」的意見が結構あるのが気になってて、これも、まあ気持ちはわかるんだけど、なんかちょっとだけズレてるように思うのです。
手段と目的をごっちゃにしない
長さわかると便利よね!という命題に対してナナメに引っ張って三角関数で補正した目盛りで!ていうアプローチはアリ。
ただ、冷静に考えるならもっと簡単で使いやすい方法は容易に思いつくわけで。
(テープそのものに目盛りつけるとか、テープ台の横に目盛り書いた板貼り付けるとか)
三角関数使ってみた、がんばった!
が先に来てしまうことで、先生にこの作品の良さがかえって伝わりにくくなったって可能性はないだろうか。