グレート物置91

がんばって書いたのはこちらに置いとく →がんばってなくても置く事にした

「ミゾレを頼んだらメロンが出てきた」

以前、かきつばた杯で書いたものをベースに手を入れたものです。

===

「うっわー、間に合うかなぁ~? くっそ~三崎のアホめ~」
 塾の帰り道、僕は、刻限が来ても毎度の脱線話がなかなか止まらない講師に恨み言を吐きながら、自転車のペダルを全力で漕ぎまくり、夜更けの街を梅雨時のツバメのように疾走していた。目指すは神明神社の縁日だ。ああ~そこのばーちゃん、邪魔だから歩道歩いてくれってば!
 市民病院の角を曲がると、神社はもうすぐそこだ。参道に集まる夜店の明かりを見つけた僕は、ちょっとだけペダルに込めた力を緩めた。よし、まだ夜店はやってるみたいだ。僕のお目当ては決まっている。参道からちょっとだけ脇にそれた広場にある、奇妙なかき氷屋だ。奇妙、というには訳がある。今時、シロップがミゾレしかないのだ。しかも他所より五十円も高い。大概の客は、安い方の「普通の店」に流れていくように見えた。そりゃそうだろう。しかし僕は知っている、そこのミゾレは何かが違う。
 あの店との出会いは今でもよく覚えている。あれは、小学四年の夏だった。

 + + + + + + + +

 (あ~まだ四年生なんだよなあ、かったるいなあ)
 なんて、呑気な事を考えていた僕にウチの両親は突然塾通いを命じたのだった。

 周囲のお受験熱にすっかり舞い上がった両親に対しては、必死の抵抗も空しく、僕は全くもって不本意ながら、学習塾というものに通う事になったのだった。
 学習塾から家までは、自転車で三十分くらいかかる。塾は夜の八時半までだから、家に帰ると九時過ぎだ。そんなことはまだどうでもいい。問題は、学校の授業で聞いたことを放課後もただ繰り返すだけという、全く意味の分からない塾の内容だ。
 もちろん僕は、いかに塾の時間が無駄であるかを両親(とくに母親)に説いた。しかし、両親(基本的に母親)の返す言葉は、「復習が大事なのよ」の一言だった。それでも食い下がる僕に与えられる二つ目のありがたいお言葉(専ら母親)は「じゃあ百点取って来い」だった。もうね、我が親ながらアホかとバカかと、学校で聞いてわかんなかった事を、塾の下手くそな講師の説明でまた聞いたところでわかんないものはわかんないし、すでに解ける計算を何度も何度もやり直すヒマがあるなら、明日のテストに備えて脳みそを休めた方が絶対良いに決まってるじゃないかっ……いや、もちろんそんな僕の魂の叫びは我が御母堂さまの威光の前に空しく消えていったのだけれど。
 とにかく、ひたすら空しく退屈極まりない毎日にすっかり嫌気がさした僕は、ある日、親に内緒で非行に走ることにした。
 帰り道にある神明神社の縁日で買い食いをしてやるのだ。
 僕ら小学生にとって買い食いはもちろん御法度だが、夜店を一人でうろついてたなんてバレたら教頭先生から直々にお説教されるくらいの非常に重い罪だ。教頭先生の銀縁メガネの奥で冷たく光る細い目を思い出すと、僕は一瞬(天の神様に誓って一瞬だけ)びびったが、僕の胸に積もり積もったフンマンはそれに勝るものだった。

 ほぼ一ヶ月間に渡って催される縁日は、この街にとって夏の到来を告げる風物詩だ。縁日の賑やかさは、僕の灰色の生活とは何の関係も無いかのように、ただただ、明るく華やかだった。
 塾通いを始める前は、毎年、夜店がやってくるとそれだけでなんだか夏が来た!って気がして訳もなくワクワクしてたのに、今は夜店の明かりが惨めな自分を嘲笑しているような気さえする。
(なんで小学生が塾なんか行かなくちゃいけないんだ、中学なんか公立で良いじゃないか)
 そう毒づきながら、縁日をフラフラと歩く僕の目に止まったのが、そのカキ氷屋だったのは今にして思えば決して偶然などではなかった。そう、それは運命の出会い。
 その店は、若い兄ちゃんが一人でやっているようだった。歳は二十になるかならないかくらいか、髪が短くて目つきが鋭く、要するに見た目はちょっと怖い感じだった。それよりも僕の目を引いたのは、チラシの裏にマジックで描かれた「ミゾレだけ!」の文字。
 見慣れぬその雰囲気に足を止めた僕に向こうも気が付いたのか、兄ちゃんが声を掛けてきた。
「カキ氷、いらんか?」
「……メロン味とかないの?」
「悪ィ、ウチはミゾレしかないんよ」 
「でも……」
 僕が戸惑いを隠せずにいると、兄ちゃんは一瞬すがるようなそれでいて何か問いつめるような目をして僕を見つめると、不意にニヤリと表情を崩した。
「まあ食ってみろよ、うまいから、な?」
「……じゃあミゾレください」
「まいどあり!」
 笑顔でくしゃくしゃになった兄ちゃんが何かに似てるような気がしてモヤモヤッとしたけど、なけなしの三百円と引き替えに手にした色なしのカキ氷のひんやりとした感触が僕の意識を呼び戻した。僕は何だかだまされたような気分で、自転車置き場へ戻る道々ミゾレを口に運んだ。
「!?」
(なんだこれ!? ミゾレってこんなに甘くて美味しいの?)
 僕が今までに食べたカキ氷とは、明らかに違う。なんだこれ?
 僕はその味が忘れられず、次の日も塾が終わると早々に夜店を訪ねた。

「こんちは」
「お、来たな、どうだ美味かっただろ? ミゾレ」
「うん」
「だろ~?」
 兄ちゃんは、満足そうにニンマリする。う~ん、やっぱり何かに似てるんだよなあ……。
「ミゾレ、1つ、ください」
「まいど!」
 ミゾレの兄ちゃんは、僕に山盛り大サービスのカキ氷を渡すと、また満面くしゃくしゃの笑顔になった。そうだ、まるで向かいの広瀬さん家のQ太が広瀬のおじさんと散歩に行く時みたいな顔だ。Q太も黙ってたら普通に強面のハスキー犬なのに、散歩の時のあの嬉しそうな顔といったら、あ、いやそれよりも今はミゾレだ。見てくれは何の変哲も無いカキ氷なんだけどなあ。
 ぼくはそっとスプーンをシロップのかかっていなさそうな箇所に挿し込み、おそるおそる口に運ぶ。うん、ただの氷だ。
 次に、シロップがかかってそうな箇所を食べる。うん、これこれこの味。甘すぎず薄すぎず、なんだろうマッタリとしてコクがあるというのはきっとこういうことを言うんだな、なんて思索に耽ったというのは全くの嘘で、ミゾレの魔力のトリコと化した僕はただひたすらにミゾレを貪ったのだった。
 二口、三口、四口、うっコメカミが痛い。
 ……シロップに秘密があるのはなんとなくわかった。ただの砂糖水とは全く別物だ。兄ちゃんに聞いてみたが、それは企業秘密だそうだ。なんだよケチ。

 それから、僕は毎年やってくるその店の常連になった。親には言えないが、県外の進学校になんか行ったらこれが食えなくなるところだった。それはちょっとツラすぎる。
 No Life,No ミゾレ!

 + + + + + + + +

 羽虫を狙うツバメのように神明通りに滑り込んだ僕は、鳥居の脇に自転車を置くと、店じまい支度中の夜店達を無視して奥へと猛ダッシュした。
 あった! まだやってるみたいだ!

「ミゾレ! 1つおくれよ」
 げえげえ言いながら声をかけた僕に、兄ちゃんはちょっとばつの悪そうな顔をして答えた。
「ああ、お前か、今日はもう来ないのかと思ったよ。…………悪ィ、もう店じまい」
「え、そうなの? じゃあまた明日……」
「違うよ」 
「違うって、何が?」
「店じまいっていったろ? 店たたんで、イナカに帰る。…………そうだメロン持ってけ」
 僕はなんのこっちゃわけが分からなかったから、そのまま兄ちゃんに投げ返した。
「……よくわからないけど、縁日はまだ終わってないよ? イナカってどこさ? なんでメロン?」
「注文が多いな……まあいいや。
 イナカは山鹿、じゃわかんねえか、熊本だ。そこでウチの親父がメロン作ってる。
 それをお袋が俺に送ってきたウチのひとつさ、食いきれねえからやるよ。
 あ、余りもんだからって心配すんな、味は保証する。食ってみろよ。うまくて腰抜かすぞ」
 兄ちゃんはそういってカッと爽やかに笑ったが、そんなことでごまかされる僕じゃない。
「店じまいってなんだよ?」
「……お袋から連絡があってな、親父が倒れた。こないだの洪水でハウスがやられた。建て直すって躍起になっていたらしいけど……」
 僕は嫌な予感がしてちょっと怖かったけれど、思わず気になってることを口にした。
「もう、戻って来ないの?」
「わからん。……そうなるかもしれないな」
 いや、僕はそれが推測じゃなくて確信だってことに気が付いていた。でも、それを認めたくは無かった。だって……。
「いつもありがとよ。またな」
 …………僕は、メロン片手にとぼとぼと帰ることしかできなかった。
 自転車を神社に忘れて来たのには、家に着くまで気がつかなかった。

 + + + + + + + +

 翌日の放課後、クラスメイトの山崎に声をかけられた。
 山崎は普段無口でおとなしい奴だ。何故かウマが合うというか割と気安い仲ではあるが、別に連れ立って帰るような習慣はなかった。
「斉藤、今日ウチでメロン食わねえ?」
「え? もしかして、夜店の?」
「何だ、お前もか?」
 僕らは、意外なところに居た同志に軽く感動を覚えつつも、あのミゾレの素晴らしさについて熱く語り合った。でも結論は最初から決まってる。
「やっぱりさ、捨てがたいよな? あのミゾレ」
「ああ」
 全員一致、異存なし、だ。
 兄ちゃんには彼なりの事情があり、まだ子供の僕らに何ができるわけでもないのは十分承知していたが、やっぱり挨拶くらい行こうやという山崎の提案に、僕も素直に頷いた。塾なんか一日くらいサボったってどうってことない。
「あ~、遅かったか……」
 自転車を飛ばして神明通りに付いた僕らを待っていたのは、兄ちゃんの店の跡だけが空しく残る露地だった。しばらく二人で佇んでいたけど、その内、最初からココには夜店なんてなかったような錯覚さえ覚えた。
 結局、すごすごと帰路に付くしかなかったが、僕は自分の分のメロンを持って山崎の家に寄った。

「一人一個な」
「ああ」
 一人分にしてはちょっとでかいが、そうするのが何か兄ちゃんに対するケジメみたいな気がして、僕らはメロンを平らげることにした。包丁を入れると、一瞬くらっとするくらい強い香りが溢れた。そのまま適当に切ってがぶりつく。 
(うわっ、甘っ!)
 濃厚な甘さにむせ返りながら、僕は初めてあのミゾレを食べた時の衝撃を思い出していた。山崎も同じらしくブホっとむせたまま黙々と食べ始めた。
「いふかさ、俺らが大人になったらさ」
 メロンを盛大に頬張りながら、山崎が徐につぶやいた。
「何?」
「食いに行こうぜ、メロン」
「そうだな」
 よし決めた、どうやって行くのかすらわからないけど、兄ちゃんはここまで一人でやって来た。僕らだって行けないわけがない。決めたぞ。もう決めてしまった。草の根分けても探し出してみせる。

「ただいま!……あれ?」
 帰って来たのは山崎の姉のようだったが、泣きながらメロンをむさぼる男子中学生二人組に怪訝な視線を向けながら、無言で二階に上がって行った。

(後編につづく)

##################################
##################################

後編:「アイ言葉はミゾレ」

「夜店通り、バー『カサブランカ』……ここですね」
 笹生は、店の看板を確認すると額の汗を拭って静かにドアを開けた。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
 カウンターの奥でバーテンらしき大柄な男が一人グラスを磨いている。
 笹生はカウンター席に腰を下ろすと、おしぼりで顔を撫でた。
「暑いですね、かき氷ください」
「どれにします?」
「ミゾレの、ニ度がけで」
「ニ度がけね」
 バーテンは、氷塊を冷凍庫から取り出して器械で削りながら、店の奥に向かって叫んだ。
「おーい、いつまで寝とっとか? お客さんぞ」
「あ、いらっしゃ~い」
 奥からTシャツ姿の女が出てきた。化粧が少し濃いが、よく観るとまだ若い。二十になるかならないか、と言ったところか。
「ウチ、メロン、よろしく~」
 ホステスらしきその女はお愛想しながら笹生の隣に腰掛けると、屈託も無く笹生を質問攻めにした。
「どっから来たと?」
「消防署の方から来ました」
「アハハ、なにそれ? 関西の人やろ? 当ててやるけん」
「はい、ミゾレ、お待ち」
「ありがとうございます」
 メロンは、目を閉じたまま、派手にウェーブのかかった自分の髪を指で弄びながらしばらく思案していたが、ポク、ポク、ポク、チーンとつぶやくと、ニヤリと笑って笹生を指鉄砲でバン、と撃ってみせた。
「そうねえ~、ズバリ、姫路やろ?」
「よく、わかりましたね?」
「なんかそがん感じのしたもん。嘘さ、ウチ姫路と大阪と京都しか分からん。あ、あと奈良も知っとる。姫路はさ、ほら、ふとかお城のあるやろ? ウチねえ、子供の頃に行ったことあるとよ。白くて綺麗かお城やったもんねえ~」
「……そうですね。先の戦で、すっかりボロボロになってしまいましたが」
「もったいなかね」
「全くです」
「お仕事は?」
「保存糧食関連の卸です。軍艦に積んでもらう商談で」
「へえ~、暑かとに遠くから大変ねえ」
「あ、ごちそうさまでした」
「三百円になります」
 バーテンに小銭を渡し、席を立った笹生をメロンが呼び止めた。
「お客さん、今夜のご予定は?」
「いえ、特に」
「夜は七時からやっとるけん、また来てね。そうそう、夜は会員制やけん、この名刺ば見せてね。」
「頂戴いたします。では遅れましたが私も」
「夏星工業のササキさんね、こんごともよろしく~」

 * * * * * * * *

 その夜、バー『カサブランカ』を再び訪れた笹生を待ち受けていたのは、昼間とは別の男であった。
「こんばんは」
「会員証ば、お願いします」
 笹生がメロンの名刺を差し出すと、門番らしき男はゆっくりと戸を開けた。
「どうぞ」
 中は結構な賑わいを見せていた。ざっと見渡すと主な客層は海軍の軍人と工廠や関連企業の社員のようだ。
「あ、いらっしゃい! 待っとったとよ~」
 笹生の姿を見つけたメロンが駆け寄って来る。
「ここは狭かけん、奥にどうぞ」
「ありがとうございます」
 奥の小部屋に通されたものの、酔客の歌声がドア越しに聞こえて来る。

 ♪なーなつのーうーみーにーひぃらけゆ~く~♪

「うるさかろ? ゴメンね、今日は上陸日やけん水兵さんの多かとさ」
「いえ、賑やかなのは嫌いじゃありません」
「なんかレコードでもかける?」
「では……コロラド・リバー、ありますか?」
「よかねえ! コロリバ、ウチも好き! ……レコード取ってくるね。」
 しばらくして、メロンは赤銅色に日焼けした痩身の男を連れて戻ってきた。
「ゴメン、相席よか?」
 メロンが片手で笹生を拝む仕草をしたのに合わせて、笹生は会釈しながらその男をチラと眺めた。
 (年はまだ若いが、なかなか年季の入った軍人だな。実直を絵に描いたらこんな感じかな)
 笹生の感慨を知ってか知らずか、男も軽く会釈を返した。
「どうぞ」
「失礼します」
「ちょっと外すけど、ゴメンね、ごゆっくり」
 そう言ってメロンが部屋を出ると、男は静かに口を開いた。
「笹生さん、ですね?」
「ええ」
「私、『第三師団』の浦山と申します。大山さんの件は大変残念でした。…………惜しい人を亡くしました」
「ええ。本当に。……私、人を捜しておりまして」
「伺っております。しかし、申し訳ありません、中川はここには居りませんで」
 わかりました、と笹生が答えるや否や、入り口の方で騒ぎが起きた。
 ガンガンガン! と扉を力任せに殴る音がした。そして店内に響くのは怒声。
「動くな! 憲兵組御用改めである!! 神妙にしろ!」
 メロンが慌てて部屋に飛び込んでくると、浦山の目つきがさっと変わった。
「いけん、憲兵のガサ入れたい!」
 メロンとほぼ入れ替わりに、浦山がまるで野良猫のように部屋の外に飛び出した。咄嗟に後を追おうとした笹生をメロンが制した。
「笹生さんは、こっちへ」
 奥の扉から裏口に出る。
「浦山さんは?」
「心配なか。ただの見回りたい。あとで落ち合うけん大丈夫」
 そう言って、メロンはさっと呼び止めたタクシーに笹生と乗り込み、行き先を告げた。
「弓張岳へ」
 車は、ネオン街の喧噪を尻目に、夜の帳の中へと滑り出した……。

 <つづく>

 = = = = = =

 う~ん、やっぱり何かやりかけの用事があると筆が進むなあ~。
 さて…………。
 私の机の上には、未開封の手紙。私宛。
 弟の渉が「ミゾレの兄ちゃん」から預かって来た手紙。
 渉が言うには、親御さんの面倒を見る為に、急に田舎に帰ることになったそうだ。
 …………これって、もしかして、ラブレターだったりするのかな?
 結構好みのタイプだけど特別な感情を抱いたことは……ないと思う、たぶん。
 ちょっと垢抜けない感じだし、ビンボーそうだし。
 でも、
「オレニ、ツイテ、キテクレ!」
 な~んて言われたらどうしよう? わ、わ、ついて行っちゃうわけ? 私としたことが。
 …………いかんいかん、落ち着け、私。
 渉のやつ、メロンなんかもらってきたけど、お礼くらいしとかなきゃね。
 手紙は、…………読まないわけにもいかないし、うん。
 私は、おそるおそる封を切った。

ヤマザキ ヒビキ殿
 明日十六時 西薙島駅にて待つ
          大井 虎獅狼』

 …………。
 ……………………・
 ………………………………これって、果たし状かあ!?
 私は目が点になった後、おもむろにベッドへ倒れ込み、顔を枕に押しつけ思いっきり爆笑した。
 苦しい、苦しすぎる。死ぬかと思った。
 
 + + + + + + + +

 私が駅に着くと、丁度十六時を回ったところだった。
 無人の改札を抜けると、ベンチの周りでそわそわしているアイツが居た。
 次の電車までまだ間があるせいか、ホームには他の人影はない。
 ベンチで惚けていたアイツは、私に気がつくと文字通り飛び上がって直立不動の構えを取った。うん、お前も立派な軍人だな!……って違うか。
「おす」
「あ、あの、あのさ、えっと、あのその」
 起立したまま、目を伏せモジモジしだした彼に私は吹き出しそうになったが、なんとか持ちこたえ、努めて平静を装った。
「メロンありがとう。……あと、手紙も」
「あっ、えっ? は、はい」
 ばっと顔を上げて目を見開く彼が、ああそうだQ太そっくりだと気がついてこれまた吹き出しそうになったが、これも何とか堪えた。ちなみにQ太はご近所の広瀬さんが飼ってるハスキー犬だ。どうやら私の通学路とQ太の散歩コースが重なっているのだが、毎日あんなに嬉しそうに散歩する犬はいない。
「で、あれなに? 果たし状?」
「い、いえっ!」
「じゃなに?」
「いえ、その、あの……」
「男ならシャキッとせんかい!」
 じれったくなった私が一喝すると、あいつはびっくりして子犬のように跳び上がった。
「さ、最後に、一度お会いしてお話したく思ったであります!」
「よし、聞こう」
「……そ、それで」
 イジメがいのあるやつだ。
「あ”?」
「このたび、実家に戻ることになりまして」
「渉から聞いた。大変だよね」
「はい」
「それで?」
「俺、いえ僕はあなたのことが」
「ことが?」
「あんたが、好きだ!」
 ……そう来ましたか。う~んそうですか。さて。
「ごめんね、今は返事できない。私、やりたいことがあるから」
「そ、そうだよね、ごめん」
「別に謝ることはないよ」
「そう、だけど」
 生気を失い、急速にしおれていく元軍人。
 ……私たちが言葉を失うと、蝉の合唱だけが世界を支配する。

 カン、カン、と遠くで踏切の音が聞こえると、しばらくして、電車の到着を告げるアナウンスが二人の沈黙を破った。
『2番線に到着の電車は、16:25発、樫丘行き普通列車です』
 彼は無言で荷物を担ぐと、私に向き直って泣きそうな顔で微笑んだ。
「……来てくれてありがとう、さよなら」
「今度、遊びに行ってもいいかな?」
「え? あ、もちろん!」
 なんちゅう嬉しそうな顔、元軍人はすっかり散歩犬に成り下がった。
「落ち着いたら、連絡くれる?」
「えっ? あ、お、俺の連絡先、あっくそ、書くものねえ、あーどうしよ?」
「ほれ」
 私は、自分の連絡先を書いたメモを添え、手みやげに買って来た瑞祥堂のフロランタンを手渡した。
「あ、ありがとう」
「お礼はメロンじゃなくてミゾレでいいから。ご馳走してくれるよね?」
「もちろん!」
『電車がホームに参ります。危ないので白線の内側へお下がりください』
 電車がホームへ滑り込むと、彼は、客室内へ駆け込むとものすごい勢いで窓を全開にした。お、おい、そこは普段開けちゃダメなところではないか? 隣のボックスのおばさんがびっくりしてるじゃないか。
「着いたら連絡するからッ!」
「まあ、落ち着いてからでいーよ。ちゃんと待ってるから。でもなるだけ早くしてね」
「わかった! 絶対速攻で連絡する!」
 人の話を聞けっての。まったく。
 彼は電車が動き出したのも気にせずに、ものすごい勢いで手を振り続けていたが、電車の最後尾がホームを離れたあたりで急に引っ込んだかと思うと、何やら車掌さんと揉めているのがちらりと見えた。大丈夫かな、アイツ。

 あ、そういえば名前、なんて読むんだろ? 聞くのすっかり忘れてた。
 ま、いいか今度で。

 + + + + + + + +

 「ただいま!」
 ウチに帰ると、居間からメロンの甘い香りがした。
 あのバカ弟、メロン独り占めかよ。
 怒鳴りそうになった瞬間、見慣れぬもう一足の運動靴に気がついた。
 あれ? 珍しいな、渉が友達連れて来るなんて。
 居間をそっと覗くと、二人して号泣しながらメロンを貪っているのが見えた。
 ははあ、どうやら、ミゾレの同志がもう一人居たってわけね。

 バカじゃないの? まったく。
 でも今日はそっとしといてやるか。まったく男というのは世話の焼ける生き物だ。
 ……あ、これ次のネタに使えそう。しめしめ。

(了)