グレート物置91

がんばって書いたのはこちらに置いとく →がんばってなくても置く事にした

地平線の先で

 午後六時。俺が今日の作業を終え事務所へ戻ろうとした頃、工場内にアラームが響いた。
『四番ピット、列車が入線します。ご注意下さい』
 工場内に鳴り響いた自動音声が止むと間もなくその列車はゆっくりとピットへ入線してきた。
 ここは列車の保守工場だから列車が入って来ること自体は珍しくも何ともないが、俺は今日の客には思い入れがあった。
 特急プレアデス号。月のちょうど反対側にあるラグランジュ市行きの直通列車だが、いわゆる豪華寝台列車という奴で俺なんかが乗る機会はまずない。俺は、黒光りするプレアデス号がピットへゆっくりと入線していくのをぼんやりと見守った後で事務所へと戻った。

 ハイスクールを出て、この仕事に就いてからもう四年になる。教師からはカレッジに進学しろと煩く言われたが、あいにくウチにはそんな余裕は無かった。ここゴダード市は、人口だけは多いが薄汚れたシケた街だ。いつかきっと、あの地平線の向こう側へ行ってやる。子供の頃はそんな夢想に浸ることもあったが、十五の時親父が職場の事故で突然死んじまって、進路希望の調査用紙を進学校から工業科のあるハイスクール希望へと書き直した時、そんなことは玩具箱の中に投げ捨てた。お袋には随分反対されたが、無い袖は振れねえってことは俺にも良く分かっていたし、ただぼんやりと夢見ていた将来よりも、初めて自分の意思で決めたって事にどこかすっきりした気分さえ感じていたから、人が言うほど悲惨な人生だとは思っていない。俺は俺のできることを黙々とやるだけだ。

「トガワ、油圧センサの故障だとは思うが、念のため添乗しろ」
 事務所で俺を出迎えた班長は、開口一番残業を告げた。さもそれが予定事項であったかのように。
 昨夜、営業運転中に駆動用リニアモータ制御システムのエラーが何度か検知されたらしく、様子を見ながらゴダードまで辿り着いたが、その後再発もせず点検しても特に異常は見つからなかったそうだ。なんせ全席プラチナチケットの豪華列車だ、偉いさんもおいそれと運休にはしたくないのだろう。
「制御ユニット、電磁バルブ一式……一人じゃ持てません」
 俺は班長の気苦労も想像できたから、あまり楯突くような事は言いたくなかったが、ちょっと一人では荷の重い作業なのは間違いない。
「カスガも充てる、二人でなんとかしろ」
 俺はもう一人の生贄に同情の祈りを三秒ほど捧げると、それ以上の抵抗は諦め、さっさと夜勤手当の申請書にサインを済ませた。

「サービス担当二名、乗車しました。責任者トガワです」
「列車長のマツダです。よろしく」
 俺とカスガは車長に添乗報告をすると、そそくさと自分たちの持ち場へ向かった。まさか薄汚れた作業着の俺たちが客室周りをうろつく訳にもいかないから、機関車の隅でじっとしているしかない。
『特急プレアデス号、ラグランジュ行。まもなく発車致します』
 閑散としたゴダード中央駅のホームに車長のアナウンスが響き渡るとまもなく、列車は静かに動き出した。
 都市空間を抜けると、あとはひたすら荒野が広がるのみ、だ。
 古代、地球で暮らしていた人類は月面にウサギが居ると語っていたそうだが、こんな所に住みたがるひねくれたウサギはいないだろう。何事もなく過ぎ行くかのように思われた静寂の時間に少しまどろみかけた時、機関車の運転室に鳴り響くアラートが無残に俺たちのつかの間の平安をかき消した。
『駆動制御異常』を示すアラート表示が機関車の運転台にあるモニタ画面にケバケバしく明滅した。列車はみるみる速度を落としてゆき、荒野のど真ん中に停車するや否や、哀れな生贄の俺たち二人を、不毛とも思える作業に追い立てた。

「おい、カスガ、配電盤どうだ?」
「大丈夫そうですけどね。14線、電圧23.5V。21線、23.4V」
 カスガは手慣れた手つきで配電盤の端子を探っていくが、お目当てはなかなか見つからない。
「ここまで電圧が来てるってことは電磁バルブか、面倒くせえな」
 俺は宇宙服に袖を通すと床下に出て、ずらりと並んだ電磁バルブを一つずつチェックしていく。ここにも犯人はいないようだ。
「油圧センサの故障はないっすかね?」
「いや、それはない。さっき念押しで見てみたんだが、なんともなかった」
「どっかで断線してるんじゃ?」
「電源インバータの出力は正常なんだけどな」
 こうしてる間にも時間はどんどん過ぎてゆく、車内では騒ぎ出した乗客たちを車長達がなんとかなだめようと必死になっているはずだ。
(しょうがねえな、時間切れか)
 俺は腹を括った。
「カスガ、ユニット交換だ」
「え、マジすか、あれ丸ごとですか? 基板とかじゃなくて」
「どこが悪いかわからん。それに逐一チェックしてる暇はないだろ」
「あれ、重いんだよな……」
「そう言っても重力制御を殺すわけにもいかんしな、まあ、車外に出すまでの辛抱だ」
「そうですけど……」
 ぶつくさとこぼすカスガの機嫌を取りながら、二人係りで制御ユニットを総取り替えしたのは小一時間が経過した後だった。

 システム再稼働を確認すると、俺たちはホームポジションに戻りやっと一息付くことができた。
 列車は再び動き出し、静寂もまた再び世界を支配する。
 疲労困憊の俺たちを見かねてか、車長はしばらくの仮眠を許可してくれた。といってもそのまま機関車の隅で居眠りをしていいというだけに過ぎないが。

 どれくらい眠っただろうか、ふと気が付くのと車長のアナウンスが車内に響くのがほぼ同時だった。
 『ご乗車の皆様お疲れ様でした。まもなく終着、ラグランジュです。お忘れ物の無いようご注意ください』
 俺はかつて夢にまで見たラグランジュ市の街並みを確かめようと、機関車の通路の小さな窓に張り付いたが、あいにく前の方はよく見えなかった。
 が、俺は別のものに心を奪われた。
 「地球の出……」
 暗闇に浮かぶでっかい青い球。
 子供の頃、教科書で見た写真と同じはずだが、こんな綺麗なものだとは教科書は決して教えてはくれなかった。

(いつかきっと、自分の力で来てみせる。ここまで)
 青い球が放つ輝きの魔術に侵された俺は、玩具箱からかつての夢のかけらを取り出して、ゆっくりと磨き直すことにした。

(了)


====
小田急の事故、復旧作業をニュースで見ましたが、人力で押してましたね。
深夜早朝の作業は珍しくない業界だとは思いますが、頭が下がります。