グレート物置91

がんばって書いたのはこちらに置いとく →がんばってなくても置く事にした

杜若#18 テーマ:アイドル りょうり

『今日の料理』

 ――これは何だ?
 一朗は目の前に置かれた物体の為す意味に惑い、その意図をようやく察知するのに暫くの間を要した。アイドル状態のまま動かない一朗にじれた妻は口を開いた。

「今日の晩御飯は、健康の為に生野菜サラダよ。」

 妻のその言葉に、一朗は絶望したといっていい。
 そして行き場のない憤りが一朗を支配する。
 この寒空の下、北風に凍えながらも帰宅して、やっと暖かい飯にあり付けると安堵した矢先のことである。何故にこのような野蛮な物を食わねばならぬのか。

 健康の為に野菜を食え、それはわかる。
 しかし、しかしだ、生で食わねばならぬ理由は何か?
 スープでも野菜炒めでもいい、とにかく加熱さえしてくれればいくらでも美味しく食うことは難くない。何故生なのか。

 さらに悪いことに、無数にちりばめられた青くさい無数の塊、想像したくもないが、間違えようもない。キュウリである。こんな栄養のない青くさいだけの代物を、何故我慢して食わねばならぬのか。考えただけで涙が滲む。
 しかし、食卓の向かいで微笑む愛妻の目は、完食するまで一歩も引かない、その決意が漲っていた。

「こりゃあ、死ぬな」

 思わず辞世の句でも詠もうとしたが、ふと、あることを思い出したのは僥倖だった。
 冷蔵庫にトマトがあったじゃないか。
 そこに考えが至ると、急に生気が戻ってきた。やれる、まだ望みはある。

「トマトも食べていいかな」
「だめよ、それは明日ミネストローネに使うんだから」
「いいじゃないか」

 どうして、それを今晩作らないんだ?と言いたくなるが、機会と見れば絶対に逃さないのが本物のいくさ人である。
 有無を言わさず、トマトを刻みキュウリへ添える。
 これでいい。
 トマトの酸味がキュウリの青くささを打ち消し、何とか平らげることができる。

 ……今夜も無事に終わった。

 

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「いや、この処理は30msのタスクに割り付けないと周期が守れないよ?」
「しかし……、30msタスクは処理が多すぎて処理時間がパンクしてしまいます。優先度の低い処理はアイドルに割り付けておかないと」
「じゃあ、もっと遅い周期のタスクを作ってそっちに移すしかないか。とにかくアイドルに色々処理を置くのはダメだよ。実行するかどうかも特定できなくなるし、だいたいアイドルも処理で既にいっぱいでしょ?」
「わかりました。100msとかのタスクを追加して処理の割付を見直してみます」

呼び出し音♪
「はいもしもし?春日です。今、NRのソフトのレビュー中なんですが……わかりました今すぐ行きます。はいすみません」
「ゴメン来生君、ちょっと不具合あったみたいで試験場に行って来る。レビューの続きはまた明日でもいいかな?」
「わかりました」

試験場へ

「どうしたの?」
「あ、春日さん、これなんですけど……この処理の時の信号波形がおかしいでしょう?ほら、時々不規則になる」
「ああこれ、さっき似たような話を来生君としてたんだけど、多分、処理をアイドルに置いているんじゃないかな、だから伝送とかで割り込み処理が増えると遅れるんだと思う。ソフト屋さんに確認してみる」

呼び出し音♪
「はい春日です。何でしょう?え?通産奉行賞の表彰式のスピーチ原稿?……いやまだです。ええ、空いた時間にやろうと思って……すみません」

呼び出し音♪
「え?何?RSの見積もり?こないだやったばっかりでしょう。え?コストダウン提案?いやちょっと待ってくださいよ、前回提示の額は300台規模で発注するから単価抑えてって話だったじゃないですか。それを100台発注したところで、残り200台についてまた見積もれとかコストダウンとか、意味わかんないんですけど!?……ええ……ああ、まあ今週中って急に言われて、はいそうですかってわけにはいかないですしね。わかりました、今回は前回の実績ベースでダウンはせずに、はい、わかりました」

呼び出し音♪
「あ、NSRの配線図ね、ごめんまだ上がってないんだ。うん、わかってる。ちょっといま立て込んでてさ、明日中には出図しておく予定。出図するときに連絡します。申し訳ない」


やっと机に戻って来る。

「もしもし春日です。検見川さんいらっしゃいますか?……ああ検見川さん?今試験中のNRなんだけど、処理の割付について確認したくて。うん、そうそう、弁閉鎖信号が不規則に動くんですけど、これってアイドルに置いたりしてません?ああやっぱりそうか~、そりゃダメですよ。定時性が保証されないと制御的にまずいでしょう。ええ、え?前から同じ?いやいや昔のことはどうでもいいですよ、今回のは少なくともダメです。え?仕様書の改定……、えぇ~、あ~、はい、わかりましたすぐ書いて送りますから。じゃよろしくお願いしますね」

呼び出し音♪
「あ、楠田さん、ごぶさたしてます。ホッケンハイムはどうでした?ええ、ええ、ああそうなんですか、やっとRCVも動きだすんですね。やるぞやるぞと言われてアイドル状態が早や半年ですもんね。再来週に提案会?朝霞で?またえらい急ですね。ええ、資料作るのがちょっと大変かな。まあなんとかしますが……はい、わかりました。」

呼び出し音♪
「はい春日です。え?部品が実装できない?サイズが違う?部品表は?C33のコンデンサはEMVE160ADA100MD55Gになってるけど……。え?それ部品表古くない?改定03じゃなくて02?いまMailで最新版送るから、国府津さん悪いけど他の部品もチェックしてくれる?」

呼び出し音♪
「はい春日です。はい、ええ、通産奉行賞……いや、ですから、それどころじ……いえ、とにかくもう少し待っていただけませんか?すみません」

呼び出し音♪
「あ、来生君。あー今朝の?はい、100msと500ms作って割付見直しした。はい、アイドルには処理残ってない、OKOK。そうそうアイドルに置いといたって何時処理されるかわかんないしね。今後は他のも見直さないとマズいんじゃないかな?じゃあまた。ありがとうございました」

 結局、終日こんな調子で「空いた時間にやろう」と予定していた作業がまったく手につかず、うんざりした気分で家路へつくのであった。

「ただいま~」
「おかえり、今日はラタトュユにしてみたけど、どうよ?」
「うおーすっげーうまそう!さすが恭一!」


――起業なんて夢みたいなこと言ってないで、いっそ料理人になっちゃえばいいのに。そしたら父親の会社も継がずに済むんじゃないの?
 と、口に出しかけたが、とりあえず目の前にある幸せの享受に専念しようと考え直した春日優子であった。